「新しいiPhoneが欲しい」「新しい時計に買い替えたい」「家が欲しい」など所有欲はつきることがありません。
「欲しいものを獲得する」ために人生や仕事にもモチベーションがあがるのは自然な流れだと思いますが、実業家の堀江貴文氏は最近の出版した本で「所有欲は無意味だ」と断言しています。
車、高級スーツ、貴金属、有名なアート、別荘など多くのいわゆる金持ちが求めている「自分の成功を象徴する」ような実体物を持つ必要がないと説いています。
堀江氏曰くその答えとして「所有しなくても自分を豊かにしてくれる、いろんなものを見つけて楽しく暮らしています」ということらしいです。
堀江氏のように過去に「巨額のお金持って、すでに所有欲が満たされたことがある」からこその発言だと思いますが真理的は考えさせられる一言です。
「獲得」した「喜び」が一瞬で終わる
以前から欲しかったものが、努力してお金を貯めて購入したとき満足度は満たされます。
しかしそれは「獲得」できたという喜びだけです。もちろん実用的利用するのであれば「所有」としての価値があると思います。
ただコレクター的に浪費することが、本来の「所有」とは異なるのかと思います。
特にコレクターとなると収集することに「終わり」がありません。次から次へ欲しくなるのです。
「趣味のコレクション」を否定するわけではありませんが、ただ収集するだけの欲求は時とともに低下していくものだと思います。
最終的には売却など手放すわけなので「獲得」のための一瞬の喜びに努力してきたと感じるかもしれません。
「大人買い」と称して、子どものころに買えなかった本、おもちゃを購入することもあるとおみますが、これも「獲得」という喜びを満たすだけのものかもしれません。
「所有欲」のために投資用不動産を購入してはいけない
アパート経営するために「不動産」を持つことも「所有欲」の一つだと思います。
これは先ほど述べた「お金持ちのステータス」的なことより「お金を産む仕組みを持つ」ということだと思います。
コレクター的な「所有」ではなく「生活のためにお金を得る」という目的なので異なってきます。
しかしアパートの部屋数や購入金額などから増やしていきたいという衝動で購入しづつける不動産投資家の方もいらっしゃいます。
「キャッシュフロー」という意味で増やしていくのは理解できなくもないですが、必要以上のお金を増やしていくとなると「所有欲」と取られても仕方がありません。
投資用不動産は「返済」が終わってから「所有」という意味での本来の価値が出てくるものだと思います。(返済中での家賃収入も魅力的ではあります)
個人的には「数億円の借入金のある不動産」より「無担保の不動産」のほうが価値が高いと思います。